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さてさて、今回取り上げるのは、伊坂幸太郎先生の大傑作エンタメ小説『マリアビートル』です! ブラッド・ピット主演で『ブレット・トレイン』としてハリウッド映画化もされたので、「映画から入って原作小説も読んだよ!」という方も多いのではないでしょうか?(映画版のポップでクレイジーな世界観も最高でしたよね!)
でも、原作小説『マリアビートル』を読んだ読者の心を一番かき乱し、そして震え上がらせた存在といえば……そう、あの見た目は天使、中身は絶対的サイコパスの中学生「王子(おうじ)」ですよね。
「どうして人を殺してはいけないの?」という、大人を黙らせる魔法の言葉を武器に、新幹線という密室でプロの殺し屋たちを次々と手玉に取っていった彼。しかし、物語のラストで彼を待っていたのは、これまで彼が味わったことのない「圧倒的な敗北と恐怖」でした。
読了後、多くの方がこう思ったはずです。「……で、結局、王子はこの後どうなったの!?」
伊坂先生はあえて明確な結末を描かず、読者の想像に委ねる形で物語を締めくくりました。そこで今回は!当ブログ「動画と読書の栞」の特別企画として、王子の「その後」について全力で考察していきたいと思います。
少し長くなりますが、ぜひ最後までお付き合いくださいね。コーヒーや紅茶をお供に、一緒に新幹線の「その後」の行き先を想像してみましょう。
まずはおさらい:中学生「王子」とは何者だったのか?
王子のその後の運命を考察する前に、まずは彼がどれほど恐ろしい存在だったのかを振り返っておきましょう。
王子は、見た目はおとなしくて可愛らしい、どこにでもいる優等生タイプの中学生です。しかしその本性は、他者の痛みや感情をまったく理解せず、人間を「チェスの駒」か「おもちゃ」としか思っていない純度100%のサイコパス。
彼の一番の武器は、腕力や銃ではありません。「無邪気な子供という仮面」と、「大人の心理を完璧に読み切り、操作する話術」です。
木村の幼い息子をデパートの屋上から突き落として意識不明の重体にさせ、それをネタに木村を脅迫して新幹線に乗車させました。さらに、百戦錬磨の殺し屋である蜜柑(みかん)や檸檬(れもん)、そして「世界一運の悪い殺し屋」七尾(天道虫)たちの運命すらも、自分の暇つぶしのためにかき回していきます。
彼が大人たちに投げかける「どうして人を殺してはいけないの?」という問い。 多くの大人は、この問いに対して道徳的な答えを用意しようとして言葉に詰まります。王子はその「大人の倫理観」や「常識」という隙を突いて、相手を精神的に支配していくのです。
蜜柑や檸檬のようなプロの殺し屋が「物理的な脅威」だとしたら、王子は完全に「精神的な脅威」。読んでいる私たちでさえ、「こいつ、どうやったら倒せるんだ…?」と絶望感を感じるほどのチートキャラクターでしたよね。
物語のラスト:彼が直面した「本当の恐怖」
そんな無敵に思えた王子ですが、物語の終盤でついに「年貢の納め時」を迎えます。
彼を追い詰めたのは、殺し屋でも警察でもありませんでした。木村の両親――つまり、王子が屋上から突き落とした渉くんの「おじいちゃんとおばあちゃん」でした。
この木村の両親(鈴木夫妻)、一見するとただの人の良さそうな老夫婦なのですが……実は彼ら、かつて裏社会で恐れられた「伝説の業者」だったことが示唆されています。 王子はいつものように「自分は無力な子供である」というカードを切り、巧妙な嘘で状況を切り抜けようとします。しかし、おじいちゃんとおばあちゃんには、王子の薄っぺらい心理戦など一切通用しませんでした。
「どうして人を殺してはいけないか、教えてやろうか」
彼らは、王子の「大人の倫理観を試すゲーム」の土俵にすら上がりません。圧倒的な経験値と、本物の修羅場をくぐり抜けてきた者だけが持つ凄み。そして、孫を傷つけられたという静かで深い怒り。
王子は、生まれて初めて「自分ではどうにもならない、圧倒的な暴力と恐怖」に直面しました。
彼がこれまで見下してきた「大人」の中に、自分など足元にも及ばない「本物の怪物」が潜んでいたことに気づいた瞬間です。あの時の王子の絶望と恐怖を想像すると、読者としては「スカッとした!」という気持ちと、「この後、彼にはどんな地獄が待っているんだろう…」というゾワゾワ感が入り混じりましたよね。
【考察】王子はあの後、どうなったのか?
さて、ここからが本題です。 おじいちゃんとおばあちゃん(元・伝説の業者)の手中に完全に落ちた王子。新幹線を降りた後、彼にはどんな運命が待っていたのでしょうか? 私は大きく分けて、4つのルートがあると考えています。
考察ルート①:そのまま「物理的に始末」されてしまった説
一番シンプルで、かつ最もダークな結末です。 木村の両親は、愛する孫を瀕死の重傷に追いやられ、さらに息子の木村自身も王子によって命の危険に晒されました。彼らがかつて裏社会で生きていた人間であるならば、「危険な芽は確実に摘み取る」というルールに従って、王子をそのまま消してしまった可能性は十分にあります。
王子がどれだけ「僕は中学生だ!」と泣き叫ぼうが、彼らには通用しません。「子供だから」という理由で許してもらえると信じていた王子が、最も無慈悲な形で人生の幕を閉じる。彼がこれまで他人に強いてきた理不尽な死を、彼自身が味わうことになる……という、因果応報の結末です。
ただ、個人的には伊坂作品のキャラクターとして、ただ殺して終わり、というのは少し味気ない気もしています。
考察ルート②:「生かさず殺さず」の絶望的な監視下で生きる説
私が一番有力(というか、こうであってほしい!)と思っているのがこの説です。
おじいちゃんとおばあちゃんは、王子を殺すことすら「生ぬるい」と判断したのではないでしょうか。死は一瞬で終わりますが、恐怖は生きている限り続きます。
彼らは王子を拉致し、自分たちの完全な支配下に置いたのだと思います。王子からすべての自由と尊厳を奪い、「俺たちの言うことを聞かなければ、いつでもお前を殺せる」という恐怖を心に植え付ける。 これまで王子は、「自分がすべてをコントロールしている」という万能感に浸って生きてきました。だからこそ、その万能感を完全にへし折り、「自分は彼らの気分次第でいつでも消されるちっぽけな存在なんだ」と骨の髄まで理解させるのです。
きっと王子は、毎朝目覚めるたびに「今日は殺されるかもしれない」という恐怖に震え、おじいちゃんとおばあちゃんの顔色をうかがいながら、ただの「怯える犬」として残りの人生を送ることになるのでしょう。これこそ、サイコパスに対する最高の復讐だと思いませんか?
考察ルート③:心を完全に折られ、「ただの少年」として社会に戻される説
ルート②と少し似ていますが、木村の両親が王子に「徹底的なトラウマ」だけを植え付けた後、あえて日常社会に放り出したという可能性です。
「お前が今後少しでも悪いことを企んだら、私たちは絶対にお前を見つけ出し、今度こそこの世から消す」という絶対的な呪いをかけた上で、解放するのです。 一見すると自由ですが、王子の心には一生消えない「監視されている恐怖」が残ります。これまでのように人を操って遊ぼうとするたびに、あの老夫婦の冷たい目がフラッシュバックし、パニックを引き起こす。
かつては「神」気取りだった少年が、周囲の人々にビクビクしながら、誰よりも平凡で臆病な大人へと成長していく……。これもまた、非常に伊坂作品らしいアイロニー(皮肉)が効いた結末と言えるかもしれません。
考察ルート④:万が一逃げ延びて、大人になったら…?(伊坂ユニバースへの再登場)
これはファンとしての「妄想」に近いですが、もし王子が持ち前の悪運と悪知恵で、あの絶体絶命の状況からどうにか逃げ延びていたとしたら?
もし彼が大人になり、その冷酷さをビジネスや政治の世界で発揮していたら、とんでもない巨悪に成長しているはずです。伊坂幸太郎先生の作品は、世界観が繋がっていること(伊坂ユニバース)が魅力の一つでもあります。『グラスホッパー』や『AX アックス』『777 トリプレックス』といった殺し屋シリーズの別作品に、「成長した王子」が黒幕として登場したら……想像するだけで鳥肌が立ちますよね!
ただ、個人的にはやっぱり、王子にはあの新幹線の中で「完全な敗北」を味わったまま退場していてほしいという気持ちも強いです(笑)。七尾(天道虫)が言っていたように、「悪い奴には、最後にはちゃんと罰が下る」と信じたいですからね。
最後に:読者に想像させる余白の美学
いかがでしたでしょうか? 今回は『マリアビートル』の王子くんのその後について、色々な角度から妄想…もとい、考察を繰り広げてみました。
伊坂先生があえて「王子がその後どうやって処罰されたか」を具体的に描かなかったのは、私たち読者一人ひとりの頭の中で、一番ふさわしい「因果応報」を想像させるためだったのかもしれません。 彼が物理的に罰せられたと想像するのも良し、永遠の恐怖の中で生き地獄を味わっていると想像するのも良し。結末が描かれないからこそ、『マリアビートル』は読んだ後もずっと心に残り続ける名作なのだと思います。
それでは、今回の「動画と読書の栞」はこの辺で! 次回もまた、面白い本や映画の考察でお会いしましょう。









